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ジブンサガシ
鬱と闘って昔の自分に戻りたい・・・
*鬱病の症状発症*

それ以来、私はお客嫌いになりました。
今日は何を言われるのだろう、と思うと店に行きたくなくなり
些細なことを言われただけでも客に向かってカッとなって不機嫌な顔をしたり、涙ぐんだりしました。
店に行きたくなくてリストカットを頻繁にするようになりました。
まぁ元々嫌なことがあるとリスカしてしまうコトはあったんですけどね。
でも今回は違った・・・。
どうしたら店に行かなくてすむのだろう・・・
死んだら行かなくていいのでは?と思うようになって
傷も深く深くなっていきました。
夜は眠ってしまったら明日が来てしまう!と思って寝れなくなってきました。
夜な夜なリスカです。
でもやっぱ死ぬのが怖い・・・
だから仕方なく朝店に行く。
でも毎日嫌な客っていうのはたくさん来る。
仕事はお歳暮の時期で忙しい。
休憩はちゃんととれない。
シフト通りの時間には当然帰れない。

もう全てが悪循環でしたね。
仕舞いには過食嘔吐で11月末の健康診断から12月13日までの間に4キロ以上体重が落ちました。

*心療内科に行く*

あまりの辛さに自分でも病気なんだと思い
薬でよくなるなら・・・と、12月11日に自分の足で初めて心療内科に行きました。
でも初診なのに10分ぐらいで診察は終わり、鬱と言われ薬を処方されただけでした。
もう2度とこんなとこ来ない!って思ったけど、むしろ薬だけもらえてラッキーぐらいに思ってたかもしれません。
病院行った翌日は何事もなく気持ち的には落ち着いてた・・・と思います。もうこの辺からの記憶は曖昧です。

*12月13日*

翌々日の13日・・・私は早番で7時過ぎに出勤。
仕事始める前に喫煙所でコーヒー片手に煙草を吸うのが日課。
でもその日のあたしは机から顔を上げられないほど、すごく体が重くて、気持ちが沈んでいた。
彼氏がすぐ後に喫煙所に来て、いつもならいろいろ話をするんだけど、話をする気力もない。
あまりに辛くて泣きながらその日公休だった後輩に電話して、明日のあたしの公休と交換してと頼んだらしい。

そのままフラっと喫煙所を出て更衣室へ。
その更衣室であたしは医者から処方されてた睡眠薬を24錠・・・
一気に全部飲んだ。
後は断片的な記憶しかなく、更衣室の前で彼氏にホッペを叩かれた・・・
そこであたしの記憶は終わっている。

*入院*

気づいたら病院のベッドの上だった。
ベルトで腰を締め付けられていた。
その日が何日で何時なのか・・・どのぐらい眠っていたのか
全く分からないし、誰に運ばれどうなってしまったのか、全く記憶が飛んでいた。
結局その日のうちに目が覚めるも全く記憶がない。

*退院*

どうやらあたしが入院したのは一日だけで、翌日ひたすら『早く帰りたい・・・』と言い続けたようだ。
とにかく薬が残ってるせいか意識は朦朧・・・
今でも一生懸命思い出そうとしないとその日の出来事を思い出せない。
退院の日、彼は数少ない公休を使ってあたしにずっと付いていてくれた。
『彼に会いたい、彼に会いたい』と言うあたしに母が
『もうすぐ来るからね』ってずっと言っていたような気がする。
結局彼は前日あたしが救急車で運ばれた時にも一緒に乗ってきたらしいし、店からチャリで7分ぐらいの病院に運ばれたから、休憩中に店を抜けてはチャリで来てくれてたらしい。

とにかく退院後タクシーで彼の家まで母と行き、彼の車で母だけ自宅に先に帰して、彼とあたしはファミレスでご飯したんだよね。
そう・・・たしかね。
でもココアを飲んだことと、彼が帰りに自宅前まで車で送ってくれて車から降りた瞬間眩暈でアスファルトに倒れたことしか覚えてない。

*数日自宅療養*

結局4日間自宅で眠って起きてを繰り返した。
でも2日目ぐらいには起き上がってご飯食べて『いつから仕事行っていいの!?』ってずっと言ってた。
窓から空を眺めてルーズリーフにその時の気持ちを彼にあてて書き綴った。
そして泣いた。
あんなに仕事に行きたくなかったくせに、この繁忙期にあたしがシフトに穴をあけてしまったことで、元々人員不足で回らない店は、もっとヤバイ状態になってることは分かっていた。
社員のみんなは公休が減ったり、時間数があたしのせいで延びている。さらにパート・アルバイトさんにも迷惑をかけて・・・
あたしはそれがすごくツラかった。
だから体力的には結構回復してたから、月曜日に母と店に行って謝ってすぐにでも働くつもりでいた。
でもそんなに甘くなかった・・・世の中は。

*父との話*

翌日店に行くという前日、彼と母は1時間近く電話で話していた。
彼も両親もあたしがすぐに働き出す事にはもちろん反対だった。
それに理由はそれだけではなかった。
でもあたしは本当に甘く考えていたんだなぁ・・・ホントに。

夜中に両親と話し合った時に
『お前は社会の厳しさが分かっていない』と父に言われた。
以下全て父の言葉です。
『何故なら会社内で起こしてしまった事態の大きさとその責任は重い。
働くどころか自主退社させられる可能性もある。
話は会社全体に広がり、今までと全く違った目で見られる。
そしてあたしが今まで頑張って築き上げてきたものが全く無になってしまった。
だから明日は最悪の事態を想定して行った方がいい。
その方が何を言われても冷静に対処できる。
そして店に行く前に病院できちんと診察を受けるべきだ。
だってお前は間違いなく病気なんだ。
病気の人間は働けないからな』と。

あたしは仕方なく了承した。
甘かったなぁ・・・って。
でもやっぱり迷惑かけてるのが嫌で、その時は戻りたい気持ちが強かったから
『もし完全に病気が治って、会社にもクビにさせられなかったら戻るからね!』
と言ってあたしは自分の部屋へ戻った。

*病院にて*

結局父との会話の後一睡もしなかった。
そして準備をし6時半には家を出た。
母とは病院で待ち合わせすることになっていた。
あたしは自分がここに入院してたなんて、全くと言っていいほど覚えていなかった。初めて来たような感覚。
大きな医療機関は混んでいる。
建物内で迷い、受付の仕方もわからない。
予約をとっていなかったから早く来たのにあまり意味がなかった。

2、3時間は待つ覚悟でいたが受付して30分後には診察室に呼ばれた。
どんな医師なのかすごく不安で(前が最悪だったから)恐る恐る入ったら、本当にいいお医者様だった。
一時間ぐらいかけてゆっくり話を聞いてくれた。
トラウマ事件のこと
あたしが人に対して責任感が強すぎること
人間関係に物凄く敏感であるということ・・・
いろいろ質問されて自分が見えてきた気がした。
結局医師には、
『仕事に復帰したい気持ちは分かったし、そういう気持ちがあるのであれば、これから会社に行ってどんな判断が下るかにもよるけど復帰するのはいいですよ。でも、もし戻ってもよいと言われても、とりあえず最低一ヶ月は休職して下さい。自分と向き合う時間と傷ついた心を修復することが必要です。そうしないと余計に治療が長引きます』と言われて、あたしは心の底から
『はい』と答えた。
あぁ・・・
あたしは休んでいいんだ・・・
そして元気になったら復帰していいんだ・・・
と思ったら気が楽になった。

*店長との挨拶の場にて*

その後すぐに母と合流して、あたしはすっかりしゃべり疲れていたので、喫茶店で少し休憩した後、店に向かった。
まさかさっきの気が楽になった状態が一気に転落するのも知らずに。

簡潔に店長との会話をまとめます。
・復帰するのは大歓迎だ。
・わざわざ本部まで謝罪に行く必要もない。
・一ヶ月の休職という形をとるのも了承する。
・ただ今まで高い評価(あたしは詳しくは知らなかったけどA評価をたくさんもらってたらしい)だったのが、今回の件でB・C評価に下がり、復帰したとしてもそれを元に戻すのは相当難しい。
・従業員もいい人ばかりとは限らない。噂は噂として広がり中には厳しい目で見たりする人もいる。
・それに耐えられるだけの精神力が戻れば復帰しなさい。

はい・・・

絶対無理!!

って思ったけどね。その時。
実際は役員店長なんだけど結構人がよくて、もっと優しい言い方をして本気で心配してくれたけど。
でもこれは言っておかなければならないことだから・・・って。
やっぱ昨日父と少し予行練習しといてよかった。

あたしが何が一番無理か・・・と思ったか
それはあたしが復帰しても、この会社では二度と信用を取り戻すことができず、アルバイトのような扱いになるだろうと想像できたことだ。
まぁ自分の責任ですけど。

とにかくあたしは母にこれ以上心配かけたくなかったから、病院行って休職できてよかった♪とか言ってすっごい明るく振舞った。
途中駅まで一緒に行き
あたしは一人暮らしのアパートへ
母は自宅に帰った。

あたしは母と別れた後、電車の中で
『時間が戻ればいいのに・・・』
と自分を責めて泣いた。。。







これが全ての真相・・・。
そしてあたしがこのブログを借りたのは
あたしの中の全ての素直な気持ちを文字にし
自分で自分を見つめ直し
どういう過程でどう気持ちが変化していくのか
自分は今後どうするのか
そして今の会社に戻る戻らないは別にして
早く病気を治し、一社会人として
また社会復帰をしたいからです。

この場所は
自分のための闘病記録だと思っています。
だから毎日あった出来事を事細かに書きます。
しかも本当にあれ以来物忘れがひどくなっているので。
書かないと忘れてしまいそうで怖いんです。

今は早く治りたい・・・
その思いだけです。

共感していただける方
同じ状況にいる方のコメント歓迎します・・・。
どうぞよろしくお願いします。
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初めまして♪凛華と申します。
ご訪問ありがとうございます☆ミ
最初に私がこのように至った経緯を読んでいただけると嬉しいです。
ただ、長文が続きますので、要所要所読んで下さいね。


*私のコト*

私は社会人2年目・・・
スーパーマーケットのレジ部門で働いていました。

基本的に私の性格は
明るい
元気いっぱい
比較的誰とでも分け隔てなく接することができる
学生時代からリーダー的存在
人をまとめるのが好き
頑張り屋さん
皆と平和に過ごしたいタイプ
人の目を気にしやすい
プライドは高い方
怒られたり嫌なことがあると凹みやすい
感情の浮き沈みは激しい・・・
などなどそんな感じです。
それを踏まえて・・・お話します。

*スーパーに就職*

大学時代はコンビニで4年働き、接客が大好きだった私。
元は教員になりたかったけど、何年も浪人は嫌だと思い挫折。
就活は始めるのが本当に遅かったけど、接客大好き・将来は上に立って人を指導したい!と本気で思っていたので、それを面接で話したら、本部の方に気に入られ早々就職決定。

新入生の時から期待をかけられ、早いうちから、いろんな研修やレジの大きなコンテストにも参加させてもらいました。
その頃は本当にお客さんと接するのが楽しくて、職場の仲間にも恵まれてました。

*やる気全開期*

チーフの下に3人先輩がいたのだけれど、私が1年目の秋頃そのうち2人が退職、残る1人は一個先輩だったけど高卒だったから、私が年齢的には3歳年上。
そんなこんなで、レジだけでなくサービスカウンター(宅配受付・進物の包装・宅急便などの受付・クレーム処理・チーフ公休時のシフトの管理など)の責任ある仕事を任されるようになり、それがますますやる気を出させてたように思います。
一年目の冬には他部門の10歳上のチーフと恋愛関係になり、ますます楽しかったです。

*2年目の初期*

2年目になった時、先輩が異動になったので、私は実質チーフ代行になりました。
ところが本格的にシフトの管理をすると、人員不足で一日中休憩に行けなかったり、バイトが病欠すれば夜遅くまでも代わりにレジに入らなければならなかったりと、労働条件は相当悪かったです。

だけどうちのチーフは女性なのに、シフトを作る時に人員がいなければ、自分の身を削って、一ヶ月公休が取れない月があったり、10時~23時とかいう超ロング勤務が月に何回もあったりしてたので、あたしはそれを見逃すことができずシフトをかぶったりし始めました。
チーフを休ませてあげたくて休日出勤もしました。
本当は早く帰りたいって思う時も多々あったけど、彼氏もうちのチーフ同様、公休さえろくに取れなくて、早朝から夜遅くまで働いていたので、あたしの方が数倍楽なんだから頑張ろう!って思って一生懸命働きました。

*2年目中盤*

そんな感じの生活が普通のコトだと変な錯覚に陥ってきた頃、チーフのために・・・自分が頑張らなきゃ!あたしがやらないとチーフが倒れてしまう!ともっともっと思い込んでいきました。
それと同時に、新入生の子の指導がうまくいかなかったりで、私の体も疲れてきていたのだと思います。
疲れが顔に出たり、クレーム処理も凹み屋ではあったけど、今までは割と普通にこなしてきたのに、だんだんと気にするようになっていったのです。
それでも自分に会いに来てくれるお客さんもたくさんいたので、それだけがあたしの仕事のやりがいだったのかもしれません。

*トラウマ*

あたしが鬱病になったきっかけは2ヶ月前出来事だと思います。
カウンターに特注を取りに来た客がいて、来店したらすぐ渡せる状態で!と言われていたらしいのですが、商品がカウンターの冷蔵庫に入らない量だったのでバックルームの冷蔵庫で保管していたんです。
そしたら本当に悪い偶然が重なってちょっと待たせてしまったんですね。
まぁ待たせたと言っても、準備していた商品をバックルームに取りに行った時間+1分ぐらいです。
もちろんどんな理由であろうと、待たせるのはいけないことですが・・・あの人は来店した時から、本当に人間とは思えないほどまくし立て、急かし、気違いのように騒ぎ、人間を否定するような言葉を連発し、ずっとずっと攻め続けました。
こちらが謝る隙がないほどです。

その客が帰った後、あたしは涙が止まらなかったんです。
怒鳴られたことが悲しかったわけではなく
ショック状態になっていたのだと思います。
人間は嫌な生き物だ・・・と強く強く思いました。

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